手織り おもとやさんの和棉の教室。
この日は、機織りにかける経糸を糊付けするレクチャーがありました。
からっと晴れた天気の良い日にしたい作業ですが、
なかなか天気に恵まれず、飯塚先生が週間天気をにらみながら日にちを選定、
ついに決行です。
糊に使うのはしょうふ糊。
今日は手織り おもとやさんの和棉の教室でした。
綿の実もはじけ始めています。
背が高いものは、チョキチョキ詰めてゆきます。
今年の夏は雨が多く、幹もほそめ。
倒れてしまった木は
起こして土を寄せてやります。
8/23は和綿の教室でした。
青い実がつきはじめています。
ここの土地はわたにむいているみたい。
近所のおじいさんも、昔わたを育てていたと言っていました。
成育がやたらよくて、ガンガン丈をつめます。
丈をつめてやらないと、よい実がつきません。
今日は和綿の教室でした。
とても暑い中、休みながらの畑仕事です。
ここはこんにゃくの産地。
畑に過去のイモが埋蔵されているため
あちこちから、こんにゃくが勝手に生えてきます。
とってもとっても出てくるので、
どなたかほしい方がいたら
お声がけください。
ゴールデンウィーク明けに種をまき
5/18に芽が出た和綿は
こんなに大きくなりました。
今日は肥料をやります。ちょっと遅いくらい。
まずは草取り。毎回草取り。
畝の間からこんにゃくがニョッキリ生えていました。
こんにゃくは植え替え。
寒くなったら収穫しよう。
毎月第二第四水曜日は和綿の教室。
この日は間引きです。
間引きは、ずいぶん悩むところ。
飯塚教室では、お互いを支えあうように、
苗を二本を残します。
それにしても梅雨というのに土がカラカラ。
雨降らないですね。
5/10にまいた和綿の種。5/18には一斉に芽が出ました。
草も出ていますねー。草取りしないといけません。
草、つよいです。こんなに出ています。
紫蘇がけっこう多いです。もったいないけど、右後方にこんもり茂る緑も紫蘇。
紫蘇の繁殖力はおそるべし。
と、いうわけで、紫蘇もぬいています。
飯塚先生(右)はいつもうれしそうです。
4回目を迎えた和綿教室。
今まで畑の準備でしたが、今日はついに種を蒔きます!
写真は藁灰にまぶした伯州綿の種。
灰にまぶすのは殺菌作用と栄養、繊維でからむ種がぱらぱらほぐれる、
それからここに種を蒔いたよー、という目印になる、ということです。
飯塚先生談。
昔はし尿と合わせたそうですが、それはさすがにしていません。。。
種まきの方法は色々あるようですが、飯塚教室では30cm感覚で6粒ずつ蒔いてゆきます。
6粒で発芽させ、大きくなったら元気なのを2本残して間引きます。
これは飯塚先生が試行錯誤しながら編み出した方法だそうです。
第二・第四水曜日は土からはじまる和綿の教室。
今回は、前回で耕した畑に畝を作ります!
鍬を持った畑仕事は初めて、とおっしゃりながら、
みなさんヤル気だからでしょうか、きれいな畝がたてられてゆきます。
ちなみに、飯塚先生の手前に横たわっている竹は『ばか棒』というそうです。
この間隔で畝をたてる目印に。
この棒があればバカでも間隔がわかるから『ばか棒』というそうで。。。
口の悪い群馬の方言かと思ったら、立派な建築用語のようです。
びっくり。
畝ができましたー。
風で共倒れにならないように、管理や収穫作業がしやすいように
広めにとっています。
今日は和綿の糸作り教室でした!
最初に講師の飯塚先生より、綿と『和綿』というものについてレクチャーがありました。
奈良時代に渡来しながらも日本で中々根付かなかった綿でしたが、
江戸時代の頃からようやっと栽培が普及し
庶民の衣服として人口を支えたものの、明治以降には輸入の洋綿におされてしまい、
今は繊維として流通することはありません。
その日本の綿を洋綿に対して和綿とよびます。
飯塚先生のお話は、日本人が綿とどうかかわってきたかだけでなく、
綿の歴史と世界経済の流れ、奴隷貿易、産業革命、遺伝子組み換え作物にまで及び、
これまで人間が歩んできた歴史、
またこれから歩んでゆく未来を考えさせられました。